高市早苗さんの母親は和子さんで奈良県警に勤務していました。
両親が共働きなので、小学校の頃から家の手伝いをしています。
母親の教育方針は「勉強も大事だけど、家族として子供に家事の役割分担はしっかりさせる」と言うものでした。
さらに、お米1つの無駄にせずに感謝して食べる人で、その事は高市姉弟にとって食育となりました。
当記事は、母親の和子さんについて書きました。
高市早苗の母親は和子で職業は奈良県警に勤務!
高市早苗さんの母親は和子(かずこ)さんです。
2018年4月16日に86歳で亡くなっています。
父親の時は仕事により亡くなった後に実家に戻る事になり後悔をしたので、母親が危険な状態な事が会合が終わり掛けた時に連絡が入り、会合終了後すぎに副大臣に危機管理の在京当番をお願いし、飛行機の最終便で奈良に行き、母親と会う事が出来ました。
両親は共働きで、母親は奈良県警に勤務していました。
母親は子育てや祖父の世話で大変でも、夜遅くまで家事をして、誰よりも早く職場に行って同僚の机を拭き花を活ける事をしていました。
父親の大休さんに関する情報はこちらです。


母親の教育方針
両親が共働きなので、高市早苗さんは小学校から帰ると弟の世話をしたり、仕事で疲れて帰る母親の為に皿洗いなどの手伝いをしていました。
高市早苗さんに「仕事を持ちながらでも子育てをしたい、頑張れば十分にできる」と言う妙な自身があるのは
勉強も大切だけど、家族の一員として家事の役割分担はしっかりさせる
引用:高市早苗コラム
という母親の教育方針による事が大きいそうです。
母親の育児日記を読み心を入れ替える
高市早苗さんは反抗期で親との関係が良くない時期もありましたが、高校2年ぐらいに母親の育児日記を読みました。
それまでは「自分は親に必要とされていない人間」と思って少し反抗的になっていましたが、育児日記を読んだ事で「自分が産まれた時にどんなに嬉しかったか、父親の給料が安いのに高市早苗さんが体が弱くその事でお金がほとんどなくなってしまってた」事が書いてて
と思い、心を入れ替えました。
母親からの教え
大学職員として働き始めた時に、母親から電話があり
偶然、貴女が討論番組に出ているのを観たけれど、どんなに考え方が違う方と議論をしても、相手を追い詰めないこと。必ず逃げ道を残して、相手の面子を潰さないように女性らしい気遣いをしない
引用:高市早苗コラム
と厳しく諭されました。
初めて選挙に立候補が決まった際にも
と言われ、選挙で対立候補の批判をしないで自身の政策を淡々の話すスタイルは後援者から「要領が悪く、やれたままで見てられない。」と言われるも、現在ではその事を高市早苗さんは誇りに思っています。
仏壇のお米をお茶漬けにして食べる
早朝に炊き上がったばかりのご飯と水・お茶を仏壇に供えるのは高市早苗さんの仕事で、夜になると母親は仏壇から下げて固くなり埃のかぶったご飯をお茶漬けにして食べていました。
お米一つ無駄にしないで先祖に感謝し食べる母親の姿は、高市早苗さんや弟にとっては最高の食育となりました。
弟の友嗣さんに関する情報はこちらです。


まとめ
高市早苗さんの母親は和子さんで奈良県警に勤務していました。
家事を夜遅くまでしながらも、誰よりも職場に早く行く仕事への意識が非常に高い人でした。
母親は夜になると、仏壇に供えてて埃が被り固くなったご飯をお茶漬けにして食べていました。
高市早苗さんは両親に反抗した時期もありますが、高校2年頃に母親の育児日記を見た事で心を入れ替えました。
高市早苗さんの母親は父親同様に他人の事も思いやる事が出来る優しい人な事が分かります。
そんな両親に育てて貰ったので、国や国民を守る為に頑張る政治家と言う仕事が出来るんでしょうね。
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