小川昌さんの父親は浩さんで米農家兼全国農民会議共同代表です。
実家は千葉県匝瑳市の米農家で兄と弟は実家で農家を営んでいます。
そして、母親は公務員で小川昌さんは最も尊敬をしてて、弁護士になる影響を与えた人になります。
当記事では、そんな小川昌さんの家族について書きました。
小川晶の父親・浩は農業活動家!
小川昌さんの実家は千葉県匝瑳市(そうさし)で米農家をしています。
父親は小川浩さんで全国農民会議共同代表になります。
ちなみに、全国農民会議は
日本の農業・農家の権利を守る為に活動をしてる団体です。
週刊『三里塚』の2025年8月25日の記事にて、父親がインタビューを受けてて、浩さんは1960年代半ばに館山の現在の農業大学校の前身の研修所で勉強をしています。
1960年代半ば、館山に今の農業大学校の前身の研修所があって、そこで勉強していた。養豚の研修で富里に入ったが、空港反対運動についてはあまり気にしてなかった。
上記の学校は、館山市亀ヶ原にあった千葉県農村中堅青年養成所だと思われます。
この卒業生の多くが日本民主同盟に加入するなど共産色が強かったそうです。
前身となるのは、かつて館山市亀ヶ原にあった千葉県農村中堅青年養成所。千葉県農村中堅青年養成所は卒業生の多くが日本民主青年同盟に加入するなど、共産色が強いところであった。
引用:千葉県立農業大学校 ウィキペディア
さらに同インタビューにて、全国農民会議を結成する経緯についても話されてて
その後、社会党を通じて千代田農協の組合長に紹介してもらい、芝山に援農に入って交流した。
68年2月26日、反対同盟、全学連、砂川基地拡張反対同盟の共催で、成田市営グランドで総決起集会が開かれ、見学に行ったのだが、学生と機動隊が激しく衝突する中で、私も高台から引っ張り出されて7針縫うけがを負った。以来今日まで三里塚とかかわりながら、全国農民会議を結成したが、三里塚の正義への確信が強まっている。
そして、今後の活動については
農民にとって、日々の農業に取り組みながら闘うことは確かに厳しいという面はある。全国農民会議として、十分に力を発揮できていないと感じる。ただ「農家も大変だ」と言ってるだけでは始まらない。大変な中でどうやってこの日本で労働者と農民の共闘、労農連帯を形作っていくか、今こそ真剣に考えたい。
若い頃や学歴についてはこちらです。

母親は公務員
小川昌さんの公式サイトにて
- 農家の父親の背中を見て「働く事・汗を流す事の大切さや収穫の喜びや家族・近所の人達と助けあう心」を感じて育つ
- 公務員として社会の為に働く母親の姿に最も影響を受け、母親の様に「将来は社会の役立つ仕事がしたい」と思い弁護士を志す
私は、農家の長女として生を受け、幼少時代は千葉県の匝瑳市で過ごしました。
農家を営む父の背中を見て、働くことの尊さ、汗を流すことの清々しいさ、収穫の喜び、家族や近所の人々と助けあう心を、肌で感じながら育ちました。また、私がより影響を受けたのは、公務員として社会のために働く母の姿であったと思います。女性も、社会のために貢献できる。母のように、将来は社会の役に立つ仕事がしたいと思うようになりました。
社会の役に立つ仕事をしたい、その思いで弁護士を志し、大学を卒業した後は、この「群馬の地」前橋で、弁護士として働いてきました。
Youtube動画の「【小川あきらに100の質問】」で
- 母親を凄く尊敬してる
- 実家には帰れていない、父親は群馬に来てくれるので会えるけど、母親に会えていないので来年のお盆くらいには帰省をしたい
との話もしていました。

兄弟は実家で農業を営む
Youtube動画の「【小川あきらに100の質問】」にて
兄弟は兄と弟が1人ずついて、実家で農家をしています。
という話をしています。
まとめ
小川昌さんの実家は千葉県匝瑳市で米農家をしています。
父親は小川浩さんで全国農民会議共同代表で千葉県農村中堅青年養成所出身です。
母親は公務員をしてて、小川昌さんは凄い尊敬をしています。
母親の影響で弁護士を目指す様になりました。
兄弟は兄と弟が1人ずついて、実家で農業をしています。
小川昌さんは両親から仕事への意識を学んでる事が伝わって来ました。
弁護士になる程の影響を与えたので、母親はかなり仕事に対して熱い想いで働いてる人なんでしょうね。
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