宮本佳代子さんと小泉純一郎さんは1982年9月に離婚をしています。
離婚理由については公表されておらず、様々な考察がされています。
- 宮本佳代子さんは結婚後に小泉家で暮らすけど、家事や選挙を仕切る小泉純一郎さんの母親や姉達との関係が良くなかった
- 宮本佳代子さんは小泉家の人達から疎んじられ、義姉達には口答え一つ許さない状況だった
- 小泉純一郎さんは家族に従ってて宮本佳代子さんを庇えず、最終的に義姉達を取った
などが理由では?との噂があります。
当記事では、母親の宮本佳代子さんの離婚理由について書きました。
小泉進次郎の母親・宮本佳代子の離婚理由は本人は公表していない
宮本佳代子さんと小泉純一郎さんは
1978年1月に結婚し、1987年7月に孝太郎さんが1981年4月に進次郎さんが生まれています。
そして、1982年9月に離婚をし、孝太郎さんと進次郎さんは父親が引き取ります。
2016年4月号の「いきいき」にて、当時の心境について宮本佳代子さんは
日に日におなかが大きく膨らむ中で、「ひとりで元気な子を産むことができるのか」という不安、そして「子どもを抱えて自立できるのか」という不安――二重の不安に押しつぶされそうで毎日泣き続けていました。
しかも、ふたりの息子とは生き別れた状態でしたから、胸の中にはさまざまな思いが渦巻いて…。今振り返っても、離婚直後はいちばんつらく悲しい時期で、一生分くらいの涙を流した気がします
とかなり悲しかった事を書かれています。
ただ、宮本佳代子さん自身が離婚理由について話された事はありません。
同記事内でも小泉家については
今日の私があるのは、あれだけの家に嫁がせていただいて、女としてのひととおりの経験をしたおかげです。
私にとってはいい人生勉強でした。
いっぱい涙を流したからこの、人の痛みがわかる人間になれたと思います
感謝の言葉を書きつつも、大変だった事が分かる記載をされています。
さらに、2016年2月に出た常井健一さんの小泉純一郎さんのロングインタビュー「小泉純一郎独白」でも
私は絶対離婚しないタイプだと思っていた
と語るも、離婚理由や宮本佳代子さんについては書かれていません。
そんな宮本佳代子さんの離婚理由については以下の様に様々なメディアで予想がされています。
宮本佳長さんとはどんな人なのか?についてはこらちでまとめました。


小泉家で居場所が見つけられず
2019年8月22日と2019年9月13日のポストセブンにて
- 宮本佳代子さんが結婚時に、小泉家の選挙や家事を仕切ってたのは小泉純一郎さんの母親や姉達になり、そこで居場所を見つける事が出来ず次第に浮いてしまい、最終的には追い出される様に小泉家を出た
- 家を出る時の小泉純一郎さんは「君子、去る者は追わず、来る者は拒まず、だな」と言う姿勢だった
「結婚当時、小泉家では純一郎さんの母や、信子さん、その姉の道子さんらが選挙と家事を取り仕切っていました。その中に長男の嫁として飛び込んだ佳代子さんでしたが、“女系家族”の壁は厚く、なかなか居場所を見つけられませんでした。厳しい姑、小姑に囲まれながら、まだ学校を卒業したばかりのお嬢さんがなんとか頑張っている感じです。才媛で物事をハッキリ言うタイプの彼女にとって、つらい時期だったでしょうね」(小泉家関係者)
「佳代子さんなりに頑張ったものの、最後には追い出されるように2人の子供を残して小泉家を出ました。純一郎さんはこの時、『君子、去る者は追わず、来る者は拒まず、だな』という姿勢でした」(前出・小泉家関係者)
「結婚当時、小泉家は“女系家族”でした。純一郎氏の母親や姉が選挙を取り仕切り、もう1人の姉が家事を受け持つ。表舞台に出るのは純一郎氏でしたが、小泉家を支えていたのは間違いなく女性たちだった。佳代子さんはそんな小泉家に長男の嫁として入っていった。ハッキリとした物言いで、自分のカラーを出す佳代子さんにとっては居づらかったと思います。次第に浮いた存在になっていきました」(前出・小泉家の知人)
2016年3月17日号の「週刊文春」では、小泉家をよく知る関係の人が離婚理由について
との記載もあります。
小泉家は、政治家である純一郎氏を姉・信子さんを中心に支える非常に結束の強い一家。そこに“他人”が入るのは簡単ではありません。お嬢様育ちだった佳代子さんにとっては、しんどい家庭生活だったのです。
義姉との関係性
2001年8月18・25日号の「週刊現代」で
と書かれています。
一方、エスエス製薬の創業者の孫である宮本さんは、政治家に必要な“票とカネ”を「集める苦労も知らない嫁」として小泉家のメンバーから疎んじられ、また、ただ義家族と同居するだけではなく生活費を夫・純一郎からではなく義姉から受け取っており、20歳も離れた義姉たちに「口答えひとつ許されず服従するしかなかった」
そして、小泉家を事実的に仕切ってた姉の信子さんで、信子さんは宮本佳代子さんに対してかなり厳しく当たって、離婚後も息子2人に会う事は許さなかったのでは?とも書かれています。
小泉家を事実上取り仕切ってきたのは、純一郎の姉で秘書も務めてきた信子さんです。信子さんは純一郎が首相時代は首相公邸に同居し、純一郎の折々の政治決断に大きな影響を与えました。また、純一郎の元妻のAさんにかなり厳しく当たり、離婚後に進次郎たちと会うことを許さなかったのも信子さんだといわれています。
引用:NewSee
小泉純一郎が姉達を取ったから
2019年8月30日のデイリー新潮にて、離婚の引き金になった可能性がある出来事について書かれてて
元々宮本佳代子さんは東京で子育てをしたかったけど、小泉家で暮らす事になって、宮本佳代子さんは家事・選挙活動などで疲れてました。
ただ、小泉純一郎さんは家族に従ってて、宮本佳代子さんの事も庇えず
となった事が原因では?との記載があります。
「佳代子さんは東京で子育てをしたかったようですが、結局は横須賀の小泉家で暮らすことに。そのうち家事や選挙活動に忙殺され、弱り切ってしまった。しかし、信子さんなど家族に従う純一郎さんは、妻を庇うことができず、“僕は姉たちがいなければ選挙ができないからそっちを取る”、と。これが離婚の引き金になったと聞いています」(地元関係者)
ちなみに、同記事で政治解説者の篠原文也さんが離婚後しばらく経った小泉純一郎さんと食事に行った際に
と言われたとか。
小泉純一郎に和解する意思はない
2010年11月30日のNEWSポストセブンの記事で、小泉純一郎さんは宮本佳代子さんとの和解の意思はない事が書かれています。
この関係者によれば、小泉氏は依然、B子さんと和解するつもりはないようだという。
まとめ
宮本佳代子さんと小泉純一郎さんの離婚理由は本人達は公表をされていません。
ただ、複数のメディアにより情報によると
宮本佳代子さんは結婚後は小泉家で生活をしてて、そこでは家事や選挙活動などを義母親と義姉達が仕切っていました。
宮本佳代子さんは小泉家で居場所を見つける事が出来ず、浮いてしまってて、義姉達には口答え一つ許されない状態で疲弊をして行きました。
そして、小泉純一郎さんは家族に従ってて宮本佳代子さんを庇えずに、最終的に姉達の方を取ってしまった事が引き金になり、離婚となってしまったとの噂があります。
これはあくまで予想なので、実際の離婚理由については不明です。
嫁・姑の問題は夫婦間の問題でテレビなどでもよく取り上げられていますよね。
小泉家の様に政治活動も関わって来るなると、政治とは関係ない家に育った人からするとそこでの生活はかなり大変なんでしょうね。
宮本佳代子さんがどんな人なのか?についてはこちらで書きました。

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