小泉進次郎の母親の宮本佳代子さんの実家は
- 母方の祖父は、泰道照山さん(エスエス製薬会長)
- 父方の祖父は、宮本安蔵さん(検事・判事)
- 父方の曾祖父は、宮本央さん(書籍商・貸金業を営み東京府多額納税者)
そして、宮本家は「代々幕府の士族」の家柄となります。
当記事では、宮本佳代子さんの実家について書きました。
経歴や学歴に関する情報はこちらです。

小泉純一郎さんとの離婚理由についてはこちらです。

小泉進次郎の母親・宮本佳代子の実家は?
母親の宮本佳代子さんの実家は凄い家柄で、母方・父方共に凄い家柄でした。
そんな母親の実家について見て行きたいと思います。
母方の祖父
母方の祖父は、泰道照山(たいどうしょうざん)さん(1907年1月2日~1984年2月20日)です。
経歴は
- 三重県度会郡小川郷村出身で、泰道勘吉さんの三男として生まれる
- 1919年に神戸鉄道教習所を卒業後に港町運輸事務所と大東被服に勤務
- 1930年に独立し、1942年に東京第十布帛工業を設立し、東京都布帛製品工業協組専務理事・泰東布帛製品卸商組合理事を歴任
- 1958年11月にエスエス製薬の社長に就任し、1970年12月に同社の会長に就任
そして、お嫁さんはとみさんです。
父方の祖父
父方の祖父は検事・判事の宮本安蔵(みやもとやすぞう)さん(1892年2月10日~1923年9月1日)です。
- 東京市麹町区上二番町(現、東京都千代田区一番町)出身で宮本央さんの四男
- 1914年に第七高等学校造士館(現、鹿児島大学)卒業
- 1917年7月に東京帝国大学法科大学法律学科卒業
- 1917年8月に司法官試補、東京地方裁判所詰
- 1919年3月に検事、東京地方裁判所予備検事
- 1919年4月に千葉地方裁判所検事
- 1920年3月に熊谷区裁判所検事
- 1920年12月に判事、東京地方裁判所判事
- 1922年7月に横浜区裁判所判事
- 1923年9月1日に関東大震災で亡くなる
お嫁さんは、千代子さん(陸軍少将の及部盛種さんの二女)です。
宮本家は
代々幕府の士族で、岡崎の松平藩につながる旧藩士の家柄で、代々書庫番の役目を果たし、学者系統で江戸屋敷における漢籍の保管などにあたって来ました。
『帝都紳士淑女列伝 奉祝今上陛下御即位記念』には「宮本央は徳川旗本の錚々たる忠勇の士だった」、『国民自治総覧』には「生家は代々幕府の士族である」とある。
泰道照山の著書『未完の足跡 わが七十七年新日本史 別篇』には「宮本家は岡崎の松平藩につながる旧藩士の家柄で、代々書庫番の役目を果たしてきた。学者系統で、江戸屋敷における漢籍の保管などにあたってきた。廃藩置県のとき、退職金代わりに書籍一切を譲りうけて学者として一家を構えた。貴重な古書、文献の類が多く、宮本家の名は好事家の間で脚光を浴びた。」とある。
引用:ウィキペディア
父方の曾祖父
父方の曾祖父は、東京府士族、地家主、書籍商、貸金業の宮本央(みやもとなかば)さんです。
お嫁さんは、うたさんで三重県の合資会社今井商店支配人の川口豊吉さんの姉です。

母親・父親
母親は志計子さんで、泰道照山さんの長女です。
父親は宮本輝久さんで、宮本安蔵さんの次男です。
父親は
明治大学 商学部を卒業し、泰道繊維系列の東洋化工で専務を務め、1974年に亡くなっています。

まとめ
宮本佳代子さんの実家は
- 母方の祖父は、泰道照山さん(エスエス製薬会長)
- 父方の祖父は、宮本安蔵さん(検事・判事)
- 父方の曾祖父は、宮本央さん(書籍商・貸金業を営み東京府多額納税者)
- 母親は志計子さん・父親は輝久さん
となります。
宮本佳代子さんの父方・母方の家柄共に凄い事が分かりました。
先祖の人達の凄い経歴を考えると、宮本佳代子さんの不動産業界で残した凄い成績も納得がいきますよね。
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