小泉進次郎さんの母親は宮本佳代子(みやもとかよこ)さんです。
青山学院大学 経営学部を卒業し、大学4年時に小泉純一郎さんとお見合いをし結婚をしています。
その後、三男妊娠中の1982年の27歳時に離婚をしました。
離婚後は三男出産して半年程で三井グループに入社し、順調にキャリアを重ね、現在は講演会などの活動も行っています。
当記事では、宮本佳代子さんとはどんな人なのか?について書きました。
宮本佳代子の若い頃から現在は?学歴は青山学院大学卒業!
宮本佳代子さんは
- 1957年生まれ
- 神奈川県鎌倉市出身
- 血液型:B型の噂
になります。
宮本佳代子さんは「頭が良く、物事をはっきり言う」人になります。
学歴は青山学院大学 経済学部卒業です。
そんな宮本佳代子さんの若い頃から現在にかけての経歴を見て行きたいと思います。
小泉純一郎とはお見合いで出会う
大学4年時の1977年に小泉純一郎さんとお見合いをして、その当日にプロポーズをされます。
小泉さんとの結婚に対し、祖父で父親的存在の泰道照山さん(エスエス製薬元会長)は反対し、絶縁寸前まで行き
となりましたが、小泉さんは宮本佳代子さんに対し
政治家の世界は何も知らないでいい
引用:JCASTニュース
何の心配もいらない。僕たちの結婚には関係ない。白紙のままで来てほしい。
引用:ウィキペディア
と言って、その言葉を信じて結婚をしました。
2人は1978年に結婚をします。
福田赳夫(たけお)さんの媒酌で学生結婚をしました。
その後、宮本佳代子さんは2回の選挙でサポートを務めました。
当時は赤ちゃんの進次郎さんを背負い地元の応援演説をした事もありました。
実家に関する情報はこちらです。

27歳で離婚
1978年7月10日に孝太郎さん・1981年4月14日に進次郎さんが生まれるも、三男を妊娠中の1982年に離婚をします。
離婚時の宮本佳代子さんは27歳で、当時について
いちばん辛く悲しい時期で、一生分ぐらいの涙を流した気がします
引用:JCASTニュース
離婚理由についてはこちらでまとめました。

不動産業界で伝説のコンシェルジュになる
三男出産から半年程で三井不動産のグループ会社に入り、1か月間の猛勉強で宅地建物取引主任者(現・宅地建物取引士)に一発合格などキャリアを重ねました。
当時は離婚した女性への風当たりが強い時期でしたが、そんな中でも宮本佳代子さんはキャリアを重ねて行きます。
宮本佳代子さんは一緒にいたがる三男に
と言い聞かせ、口癖は「仕事は努力を裏切らない」でした。
そして、不動産業界で40年以上に渡って不動産営業のトッププレイヤーを務め、個人・法人向けの不動産売買仲介や相続、投資、資産活用のコンサルティング業務で大きな成績を上げ、特に都心再開発プロジェクトで複数のプロジェクトを成功に導いたので「伝説のコンシェルジュ」と呼ばれています。
三男・宮本佳長さんがどんな人なのか?についてこらちでまとめました。


現在の活動は?
宮本佳代子さんの現在ですが
M&A大手のストライク(東証プライム上場)をはじめゼネコン、IT関連企業、スポーツを取り入れた幼児教育企業、弁護士事務所など十数社にも及ぶ多彩な有望企業の顧問、特別顧問としてあらゆる業界の人と人をつなぐコンシェルジュとして全国を奔走している。
引用:システム ブレーン
そして、「宮本アソシエイツ」の代表を務め、講演活動を行ってて、講演会は毎回満員の人気です。
宮本アソシエイツは、東京都渋谷区代々木にオフィスがあります。

若い頃の画像は?
宮本佳代子さんの若い頃の画像はこちらです。
引用:https://x.com/funassh4iiii/status/706399214390124545

まとめ
母親の宮本佳代子さんは青山学院大学 経済学部卒業しています。
大学4年時の1977年に小泉純一郎さんとお見合いをし、その当日にプロポーズをされました。
小泉さんとの結婚を祖父の泰道照山さんは反対しますが、小泉さんの言葉を信じて1978年に結婚をしました。
ただ、三男妊娠中の1982年に離婚をしました。
三男出産半年程で三井不動産グループに入社し、順調にキャリアを重ねて行き、「伝説のコンシェルジュ」と呼ばれる程になります。
さらに、現在は「宮本アソシエイツ」の代表を務め、かなり人気の講演会を行っています。
宮本佳代子さんはかなり優秀で凄い営業力がある方な事が分かりました。
離婚して息子2人を純一郎さんに引き取られ、三男を女手一つで育てないといけない大変な状況の中で凄いキャリアを重ねたのは凄い人間力の人だなと感じました。
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