高市早苗さんの父親は大休さんで、トヨタ系列の自動車会社の営業マンをしていました。
お客さんからの相談があると、夜中や日曜でも行く仕事熱心な人でした。
父親は厳しさの中にも優しさがある人でした。
1993年の衆議院選時の出馬の際にはかなり悩みましたが、父親の「俺の退職金は選挙に使って良い。イライラせずに自信を持ってやれ」の手紙で背中を押され、出馬を決めました。
当記事では、そんな父親の大休さんとはどんな方なのか?について書きました。
高市早苗の父親・大休の会社はトヨタで職業は営業マン!
高市早苗さんの父親は大休(だいきゅう)さんで、2013年5月5日に79歳で亡くなっています。
母親から
という電話を受けるも、当時は政調会長なのですぐに帰る事も出来ず、父親が亡くなった後に実家に帰り後悔をしたそうです。
父親はトヨタ系列の自動車会社で営業をしていました。
顧客からの相談があれば真夜中や日曜でも遠方まで車で行っていました。
そんな父親の姿を見て、素直に勤勉に働く尊さを学びました。
ちなみに、高市早苗さんが働いて貯めたお金で初めて買った車はトヨタの「スープラ」でかなり愛着がある車となります。
父親がトヨタ系列の会社に勤務してたので、初めての車でトヨタを選んだのかも?しれませんね。
一方で、高市氏はクルマ好きという一面でも知られており、特にかつての愛車であるトヨタ「スープラ(A70型)」への愛着は、過去に複数メディアで取り上げられるなど、クルマファンの間でも話題です。
高市氏がスープラにまつわるエピソードを語ったのは、2012年8月30日号の週刊新潮の特集「有名人のちょっと変わった愛車たち」。
そこで明かされたのは、スープラを「働いて貯めたお金で初めて購入したクルマ」であるという事実でした。
引用:くるまのニュース

選挙立候補の背中を押してくれる
1993年の衆議院選にて、当時は中選挙区制度の時で奈良県から5人の現職議員が強固な地盤を誇り、日本が新党ブームに湧いてた事もあり、無所属の高市早苗さんが当選できる可能性はかなり低かったそうです。
その為、後援者からも「あと一期待つべき」と引き止められてて、苦悩をしていました。
そんな家族が寝てる夜に実家に帰宅すると、テーブルの上に父親からの手紙が置いてあり
俺の退職金は、選挙費用の足しに使ってよい。イライラせずにやれ。自信を持って!握手、お辞儀を忘れるな。気楽にやれ
引用:高市早苗コラム
この手紙を抱きしめて泣きながら、出馬の決心をしました。
失礼な記者にも誠実な対応
父親は高市早苗さんに常に堅実に生きる事を求めていましたが、最も苦しい決断の時にはそっと背中を押してくれる人でした。
週刊誌の記者が高市早苗さんに対し失礼な記事を書こうと実家まで行き、あまりに一方的に失礼な事を言う記者に母親が腹を立て玄関口で追い返しました。
その事に対し、父親は母親を叱り
記者さんだった仕事で来ているのだ。暑い中を東京から来られたのだから、冷たいおしぼりとお茶を出して休んでいただくのが礼儀だろう
引用:高市早苗コラム
と言いました。
これに高市早苗さんも
と思いました。
教育勅語を幼少期から繰り返し教わる
高市早苗さんは小さい時から繰り返し両親に教育勅語を教わります。
両親は小学校に入る前に全文を丸暗記してたので、楽しそうに声を合わせて唱える姿が高市早苗さんは好きでした。
その内容は
「子は親に孝養を尽くす」「兄弟姉妹は互いに力を合わせて助け合う」「夫婦は仲睦まじく解け合う」「友人は胸襟を開いて信じ合う」「自分の言動を慎む」「全ての人々に愛の手をさしのべる」「学問を怠らず職業に専念する」「知識を養う」「人格を磨く」「進んで社会公共の為に貢献する」「法律や規則を守り、社会の秩序に従う」「国難に際しては国のために力を尽くす」という徳目で、子供にも分かり易いものでした。
引用:高市早苗コラム
さらに、高市早苗さんの顔をたまに見ると「初心を忘れるな」と言ってたそうで、その言葉で反省をする事をあったとか。
素直さを学ぶ
学校の先生が理不尽な怒り方をしたと泣いて言った時には、両親にはかなり怒られました。

まとめ
父親の大休さんはトヨタ系列の自動車会社で営業マンをしてて、仕事熱心な人でした。
そんな父親の姿を見て、高市早苗さんは素直に働く重要さを学びました。
1993年の衆議院選時には、自身の退職金をあげるなどそっと背中を押してくれました。
退職金のエピソードはかなり感動的で父親の子供に対する愛を感じますよね。
父親が背中を押しくれた事でパワーを貰い、その時の衆議院選で得票数トップでの当選を果たす事が出来たのでしょうね。


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